平安京の軸線

平安京(京都)の街は中国の長安の街を模したと考えられています。平安京は南に開け、他の三方を山に囲まれ、東に鴨川、西に桂川が流れています。北の丹波山地を「玄武」、西の嵐山を「白虎」、東の大文字山を「青龍」、南の巨椋池(おぐらいけ)を「朱雀」と捉え、中国の風水で言うところの「四神相応の地」と言われました。
平安京の中心軸である朱雀大通の北には船岡山があります。おそらく船岡山を基準に街が作られたのでないかと考えられています。
朱雀大通の東側、つまり左京(洛陽)は栄えましたが、西側にある右京(長安)は地盤が低く沼地で湿地帯のために病気が発生するなど住みにく場所とされました。(洛陽は東、長安は西にあるためそう呼ばれています。)そのため都市域は平安京の左京に偏っていきます。上級貴族のほとんどは左京の北部に居住し、右京は急速に農村化していきました。