尾張の地形

今から400年以上前に豊臣秀吉と徳川家康の命により、現在の愛知県犬山市から弥富市までの木曽川左岸に御囲堤(おかこいつつみ)と呼ばれる堤防が築かれました。当時は犬山から扇状地が形成され川は何本も枝分かれをしていました。現在の巾下用水・昭和用水、青木川・五条川、般若川・三宅川、日光川、黒田川・小信川(枯れ川)が名残りです。堤防を造ることで川を一本化し渇水期でも流量を確保できるようになります。木曽地方から檜を運び、秀吉は大阪城と城下町、家康は名古屋城と城下町を築く、主に水運の役割ありました。御囲堤の内側つまり尾張国内では洪水の心配がなくなったものの、それまで農業用水も兼ねていた分流する河川が枯れてしまったことで水不足に悩まされることになります。そのため木津用水(合瀬川)や新木津用水が造られ、入鹿池がため池として築かれることになりました。
御囲堤には一宮市浅井町あたりなど桜が植えられています。人々が桜を鑑賞することで堤防な踏み固められることを想定して植えられたと言われています。
写真は今から8年前に作った犬山から名古屋港あたりまでの地形と河川を現した模型です。青い部分が現在の河川で、ツヤのある部分は旧河道(昔の川)です。模型を作ったことで大体ですがこの辺りの地形を把握できています。お客さんと土地探しをする場合にとても役に立ちます。