名古屋芸大の学生と篠島でフィールドサーベイを行いました。
名古屋芸大の学生と篠島でフィールドサーベイを行いました。伊勢神宮と深い関係のある神社や、名古屋城の築城の際の採石場跡など興味深いものがたくさんありました。
港のそばに網干し場がありました。
旧小学校跡。この右奥に城山があり、その頂上には神社がありました。
現在は内海高校篠島分校があった場所に中学校とともにあります。
小学校の中に昭和30年の地図が置かれていました。
見ると、中手島と城山の間にある現在のフェリー乗り場や住宅地は海です。
30年前両親に海水浴に連れてきてもらった記憶があります.
海水浴にはまだ早い季節。体操服をきた小学生がたくさんいました。なんの授業だろう。
壁も軒先も青く塗ります。
多くの家の壁には、水色の他に薄緑や黄色やピンクといったパステル調の色が塗られていました。
篠島の埋立地を歩いていたら現れた倉庫。ペンキの試し塗りなのか、まるで芸術作品のようです。
おばさんがワカメを干していました。
篠島の石にへばりついたワカメは一味違うそうです。一口いただきました。
バイクや軽自動車がこの島の足です。
お昼ご飯は町の食堂「仁」でしらす丼。
生から茹で上げるられたしらす丼はフワフワの食感です。
篠島は路地や坂が多く、建物の壁は板張りにパステル調のペンキが塗られています。
FRP製のバルコニーを見つけました。
神明神社は伊勢神宮遷宮の時に下賜(かし)される古材を使い20年ごとに社の遷宮を行なってきたそうです。
昭和49年には内宮の東宝殿、平成7年には西宝殿の古材が下賜されました。伊勢神宮では御垣内(みかきうち)に囲まれて見られなかった建物が、20年以上経ってようやく篠島の地で見ることが叶います。
八王子社は伊勢神宮遷宮の時に、神明神社の古材で社殿が作られてきました。
名古屋城の築城の時、城普請の総大将加藤清正は、採石地のひとつに篠島を選びました。篠島の本島や周辺の島の海岸線から採石をしました。
ここ弁財採石地跡は陸上に残されていて、散策路が整備されてます。
花崗閃緑岩といわれる石で篠島全島に見られるそうです。石には割るために矢穴を開けますが、何らかの理由で放棄された石が置かれていました。
南風ケ崎(まぜがさき)には加藤清正の枕石と言われる石が海岸に残されています。
南風ケ崎(まぜがさき)に放置された矢穴の開いた石。
記念撮影のつもりが……。