山本亮平さんの器

時代が変わっても、人が美しいと思う感覚は変わらないのか。
山本亮平さんの器を見てそんなことを考えています。

山本さんにお会いするのは今日で2回目。前回から2年も経ちました。
その時は、なにか重いものを背負った人だなという印象を持ちましたが、今日もその印象は変わりませんでした。

haseさんの展示台に似たような形状の器が2つありました。その2つを手で持ってみると明らかに重さが違う。不思議に思って山本さんに訊ねてみたら、「右のは粘土で出来ています。左のは砂岩を砕いて、、、。」どうやら石を採掘して砕いて不純物を取り除き固めて焼いて器にしているそうです。う〜ん。よくわかりません。でもきっとむかし(400年前くらいでしょうか)有田ではこのようなやり方で作っていたのでしょう。

山本さんの住んでいる有田では、よく磁器の破片が転がっているそうです。それを拾って観察して、作品を作る手がかりにするそうです。もしその破片が400年前のものだったら、ワクワクするだろうな。
時代を超えるとはこういうことなのかもしれない。
山本さんの作られる器の姿・形はもちろん美しい、でも作るという行為そのものが純粋で美しい。
初日に行くことができて良かったです。