慈光院

奈良県大和郡山にある慈光院は片桐石州(片桐貞昌)により寛文3年(1663年)に建てられた臨済宗のお寺です。(片桐石州は大和国小泉藩初代藩主片桐貞隆の長男で、賤ヶ岳の七本槍のひとりである片桐且元の甥にあたる。)
茅葺きの農家のような建物の書院から、奈良盆地を一望でき、その景観を取り込むように建物や庭が計画されている。父である片桐貞隆の菩提寺として建てられ、父のあとを継いで藩主として領地を見渡すという役割も担っているのでしょう。
坂道の参道を登りきると右手に一之門が見えてきます。門をくぐり薄暗い参道を左に折れてさらに右に折れる。狭くて暗い参道はこの先にひろがる明るいお庭への対比となります。

玄関がある庫裡で受付を済ませて薄暗い廊下を進むとやがて書院が見えてきます。この流れや方位は岐阜県海津市にある行基寺を思い起こさせます。
手前の庭とその奥に広がる奈良盆地と笠置山地が、書院の床と柱と天井により切り取られ、まるで絵画のように見えます。いわゆる借景ですが、江戸時代から昭和の戦後くらいまではあまり変化はなかったものの、高度経済成長期から現在に至るまでに急激に周辺環境が変わり、それまでの美しい田園風景が住宅やマンションや商業施設に変わってしまいました。今見えている景色は全く違うものになってしまったため、私たちは当時の景色を想像で補うしかありません。
平成9年(1997年)から、書院から見える土地に盛土をして、そこに600本もの樹木を植えたそうです。お寺苦労と努力により、今では木々が立派に育ち、乱立した建造物を隠せるまで成長しました。

1960年代からの高度経済成長により、生活は変化し豊かになりそして贅沢になりました。目に見えるもの、つまり物質的な豊かさを求めるあまり、精神的な豊かさとは何かさえわからなくなってしまったような気がします。