小木の古墳群


話の流れで次回の簿記の勉強会でのミニ講座で、お話をさせていただくことになりました。
税理士さんに何を話されますかと問われて、「最近古墳に興味があります。」という何気ない言葉が発端で、次回は「古墳について」お話しすることになりました。建築でも町並みでもなく。
というわけで勉強会の後、会場の近くにあった小木の古墳群を散策してきました。
そのなかでも、宇都宮神社古墳と浄音寺古墳を見てまわりました。
宇都宮神社古墳は墳長59mの前方後円墳(前方後方墳とも考えられている)で、円墳の頂付近に宇都宮神社の社殿が建っています。
小木古墳群は、3世紀末~4世紀に築かれた考えられていますが、その中でも最大で、中心的位置を占めていたと推定されます。
浄音寺古墳は円墳に見えますが、こちらも前方後円墳(こちらも前方後方墳とも考えられている)だったようです。
しようがないことかもしれませんが、歴史のなかで多くの人の手が加わり元々の古墳の形状を成していないのを残念に思います。

愛知県西部に「海部(あま)」という地名がありますが、「海人(あま)」と言われる人々が木曽三川を利用して交易を行っていたと考えられています。「尾張」という地名は尾張氏からきていて、尾張氏と海人氏は深い繋がり(もしくは同一)があると考えられています。
古墳は瀬戸内海を囲むように九州から近畿まで点在しています。また尾張地方にも多くの古墳があります。
大分にも「海部(あまべ)」という地名があることを考えると、瀬戸内海を中心として海を行き来する人々が強い力を持っていたのかもしれません。
熱田の断夫山古墳から北へ小木古墳群、青塚古墳、犬山の東之宮古墳はすべて海を望むように建っています。遠くは神戸の垂水にある五色塚古墳も同様です。
歴史は埋もれてしまってわからないことが多いのですが、だから自分なりに想像し当時に思いを馳せることもできます。そしてますます興味が湧いてきます。


宇都宮神社古墳の頂です。右手に社殿が見えます。ここのあたりが円墳です。


次に浄音寺古墳へ向かいました。


現在は円墳の形状ですが、実際は前方後円墳(前方後方墳とも考えられている)だったようです。


西側から見ると古墳が段丘上にあるのがわかります。